物心ついたころから、母は仕事をしていた。
私が小学生のころ働き出した、と思っていたら違っていた。姉がまだ小さいころから働いていたことを最近知った。
「仕事へ行くときに、◯◯ちゃん(姉)が泣いてね、かわいそうなことをした」
ポロリと母が洩らした。少し意外な感じがした。母にとって仕事は、何よりも優先度の高いもの。仕事なくして生きている価値なぞない、ぐらい大切なもの。家や家庭よりも大切なもの、と思っていたら、それは子供の思い込みだった。私たち姉妹弟を心から心配している、普通の母親だった。
「親の心子知らず」とは良く云い当てている。四十を過ぎて気づく子も子である。

母の仕事は、舞台・映画・テレビの裏方である。若いころは女優を目指したこともあり、小さな劇団で、演じているのを観に行ったこともある。私が中学生になるころから、裏方仕事をメインに変えていったようだ。
母がその仕事を始めたころ、その職業はあまり重要視されていなかった。特にテレビでは、名前はおろか、担当職名さえも出なかった。これが出るか出ないかで、当然お給料も変わってくる。母は頑張った。プロドューサー・テレビ局に働きかけ続け、地位を確立していった。今では母の同業者も増え、ほとんどの場合、担当職と名前が載るようになっている。もちろん、時代の流れがそうさせたこともある。でも、母が頑張って道を切り拓いてきた努力もある。今は、そう感じる。

今年三月十一日、東日本大震災が起こった。多少のショックは受けたものの、私は直ぐに立ち直った。が、しかし、母はショックを受け、そのショックから未だ完全に立ち直っていない。
母がショックを受けたのは、テレビの映像である。全てが津波で呑み込まれ、何も無くなってしまった東北の映像を、何度となくニュース番組等で見せつけられた為である。アメリカの9.11の時も同じようにショックを受け鬱になったことがある。戦争で焼け野原となった大阪・広島の記憶が甦るというのだ。(実際には空襲には遭っていないので、恐怖心が甦るらしい)

今週になって、舞台の仕事が一つ始まった。たしか毎年この季節になると、同じ劇団が同じ演目を行っている。母はこの仕事を生き甲斐を感じながら行っている。今回出演の役者さんたちは、昨年も同じ役で出ているので、母は特に大きな働きをすることもなく、完成度の確認をする程度である。
土曜日に顔合わせがあり、初日ということもあり必死になって仕事場へ赴いていた。次の日曜日はダウン。月曜日は電車の人身事故があり、ダイヤが大幅に乱れ行けず。明日こそはと、今、布団の中で自分と戦っている。
御年76歳。体力の衰えを感じつつも、まだまだやるんだ!とがんばってます。
私もがんばらねば!