徒然

今の仕事に就いて、一年と二ヶ月。業務内容は至って簡単なものが多いです。十代から三十代が多い職場です。この職場で社会人としてスタートした同僚が何人かいます。でも、この職場で社会人としてスタートした人たちが一番社会人としてのモラルや常識に欠如してます。
そんな彼らをどう教育し直して行くかが、今の私の課題です。頭が痛い。。。

苔と雪割草の成長が楽しみです。

父のグループホームの入所が決まりました。
我が家からも、そんなに遠くもないので、まめに会いに行くことができます。
父は、母一人り子一人りで育ったせいか、とても家族思いで、私たち家族を大切にしてきてくれました。多分、父はづっと私たち家族と共に、家に居たいだろうと思います。でも、私と姉は、働かなくてはならず、母は、体力・精神力の限界が近づいてます。細かなことは、忘れてしまう父ですが、私たちのことは、しっかり憶えています。たった一人り、全然知らない施設へ入り、なぜ此処にいるのか、いつ帰れるのか、、、淋しさと不安に苛まれるのかと思うと、悲しくなります。

この二年ほどお世話になったケアマネさんとは、これでお付き合いが終了します。とても父のこと、そして私たち家族のことを親身になって相談にのって下さいました。施設には、施設のケアマネさんがいます。家族が望む場合は、ケアマネを変更しないで済むようになれば良いのにと、少し思いました。それだけ信頼のおける方でした。ちょっと残念です。

私の心の整理は、未だ中途半端なものです。会いたいときにいつでも会えるから、と思うのですが、父の認知症状以外の症状に、施設の方がちゃんと対処できるかがとても不安です。どうか、ホスピタリティの感じられる施設でありますように。願うしかありません。

物心ついたころから、母は仕事をしていた。
私が小学生のころ働き出した、と思っていたら違っていた。姉がまだ小さいころから働いていたことを最近知った。
「仕事へ行くときに、◯◯ちゃん(姉)が泣いてね、かわいそうなことをした」
ポロリと母が洩らした。少し意外な感じがした。母にとって仕事は、何よりも優先度の高いもの。仕事なくして生きている価値なぞない、ぐらい大切なもの。家や家庭よりも大切なもの、と思っていたら、それは子供の思い込みだった。私たち姉妹弟を心から心配している、普通の母親だった。
「親の心子知らず」とは良く云い当てている。四十を過ぎて気づく子も子である。

母の仕事は、舞台・映画・テレビの裏方である。若いころは女優を目指したこともあり、小さな劇団で、演じているのを観に行ったこともある。私が中学生になるころから、裏方仕事をメインに変えていったようだ。
母がその仕事を始めたころ、その職業はあまり重要視されていなかった。特にテレビでは、名前はおろか、担当職名さえも出なかった。これが出るか出ないかで、当然お給料も変わってくる。母は頑張った。プロドューサー・テレビ局に働きかけ続け、地位を確立していった。今では母の同業者も増え、ほとんどの場合、担当職と名前が載るようになっている。もちろん、時代の流れがそうさせたこともある。でも、母が頑張って道を切り拓いてきた努力もある。今は、そう感じる。

今年三月十一日、東日本大震災が起こった。多少のショックは受けたものの、私は直ぐに立ち直った。が、しかし、母はショックを受け、そのショックから未だ完全に立ち直っていない。
母がショックを受けたのは、テレビの映像である。全てが津波で呑み込まれ、何も無くなってしまった東北の映像を、何度となくニュース番組等で見せつけられた為である。アメリカの9.11の時も同じようにショックを受け鬱になったことがある。戦争で焼け野原となった大阪・広島の記憶が甦るというのだ。(実際には空襲には遭っていないので、恐怖心が甦るらしい)

今週になって、舞台の仕事が一つ始まった。たしか毎年この季節になると、同じ劇団が同じ演目を行っている。母はこの仕事を生き甲斐を感じながら行っている。今回出演の役者さんたちは、昨年も同じ役で出ているので、母は特に大きな働きをすることもなく、完成度の確認をする程度である。
土曜日に顔合わせがあり、初日ということもあり必死になって仕事場へ赴いていた。次の日曜日はダウン。月曜日は電車の人身事故があり、ダイヤが大幅に乱れ行けず。明日こそはと、今、布団の中で自分と戦っている。
御年76歳。体力の衰えを感じつつも、まだまだやるんだ!とがんばってます。
私もがんばらねば!

おひさま

連続テレビ小説「おひさま」を毎日楽しみにしている。
母方祖母とほぼ同年代の設定である(実際には私の祖母が6・7歳年上)。見ていて落ち着く。なぜかな?と思い考えてみた。一つには言葉遣いがとても丁寧である。当時のお侠な役柄を演じている育子さんでさえ、お国言葉を使っているとは言え、とても丁寧な言葉を遣っているのである。そして、主役の陽子さんと家族とのやり取りの言葉遣い、兄上と話しをするときと父上と話しをするときの言葉遣いを、遣い分けている。それも、とても自然に。。。そしてもう一つ、家族を思いやる心、友だちを思いやる心を丁寧に描いている。素直に感動してしまう。
私の父と母、どちらも故郷への想いがとても強い。二人とも小学校のときの思い出をとても大切にしている。「おひさま」を見るときは母と一緒に見ている。分からない時代設定があると母に聞く。とは云っても洋子さんが十六歳のき、母はまだ小学校にも上がっていない、父に聞いてみるが、父もこの時、小学校低学年。特に分かりづらい学校制度を聞いても曖昧である。設定年齢に比べて、役者さん(仲良し三人組)の年齢が高いせいもあるが、無邪気さはあっても、とても大人びて見える。
小学校(小学校尋常科)までは単純だが、中学から上になると学校種が増え、1年制から5年制まであり、現代のようにシンプルでない。いや、調べてみると、小学校も6年制と3年制とある!?。。。中学だと、小学校高等科、高等女学校、中等学校、高等学校尋常科、、、、その上の教育、高等学校以上にも、師範学校、女子校等師範学校、専門学校、大学予科、高等学校高等科、高等師範学校などなど、、、中学校以上の教育を受けられるのは、裕福または少しでも余裕のある家庭が一般的だったようだ。高校以上となると、裕福でエリートを目指す人たちのみとなる。一般(!?)の人たちは高校へ行くよりも働きに出るのが当たり前であった。高校は特別だが、小学校・中学校で勉強したいという人たちが多かったのも、分かる気がする。行きたくても家庭の事情で行けない。勉強したくても出来ない。現在の誰でも行ける状況は夢のような環境と云える。そして、私の父母の世代では、自身の子どもたちを何とか高校や大学へ行かせてやりたいと思うようになったのだろうと思う。自分たちが行きたかった学校へ。現在の良い大学を出れば、良い就職先に就けるという気持ちもあったかもしれないが、勉強をしたくても出来なかった、自分たちとは違う未来を描いていたのだろう。
ドラマの中の三人のこれからの人生が楽しみである。特に、育子さんと真知子さんの将来!どんな未来が待っているのであろう。

4月

父のデイサービスの契約のために、介護支援専門員さんとケアマネさんの訪問を受けた。つくづく我が家はラッキーだなと思う。家族が介護を受けるとき、どれだけ親身になって考えてくれるか、広範囲に及ぶ知識(経験)を持っているか、ケアマネさんの度量と経験がとても頼りになると聞いていた。
私たち家族が選んだデイサービス施設は、ケアマネさんが私の父に合っているだろうと紹介してくれた施設(二度目に見学に行った施設)。施設体験の感じも良かったし、今日来てくださった介護支援専門員さん(デイサービス施設の方)もかなり感じが良かった。施設体験をした後の父は、話す声も少し大きくなり、少しだが歩き方もしっかりし、なにより外へ散歩へ出る意欲が湧いてきたようだ。ケアマネさんのきめ細やかな心遣いと、デイサービスと訪問看護の人たちの沢山の手によって私たち家族と父は支えられている。
進行を止めることは出来ないと思うが、ゆるやかに穏やかにすることは出来ると思う。何よりも父にはより楽しい老後を、母には余計な気苦労を省けるように出来ればなによりです。